2018年03月29日
福沢諭吉旧居
大分県中津市には、慶応義塾の創始者である福沢諭吉の暮らした家が残っています。
諭吉が1歳半の時、諭吉の父が急死したため、母子6人で中津に帰ったときに暮らしていた家。
諭吉が19歳ごろまで移り住んだこの平屋の旧居は、現在、見学できるようになっていて、広さは約100平方メートルほどあります。
誰もが知っている福沢諭吉。
幼少期の逸話や家族の話なども知ることができて、興味深いです。
「近所に貧しい女性がいた。諭吉の母親、お順(じゅん)は女性を見かけると忙しくとも施しをした。女性を庭に呼び寄せ、むしろの上に座らせると、頭のしらみを取ってあげた。
諭吉は、石でしらみをつぶす手伝いをした。終わると女性に「しらみを取らせていただき、ありがとう」と声をかけ、ご飯を食べさせていた。」
その石も、庭先に残っています。
諭吉は内職をして家計を助けながら、猛勉強し、やがて上下関係の厳しい封建的な身分制度に反発するようになります。
それが後のベストセラー『学問のすすめ』に通じているそうです。
貧しいながらも信念を持ち、過ごした少年時代。
福沢家の旧居は昭和46年、国の史跡に指定されました。
*******************************************************
福沢諭吉旧居
〒871-0088 大分県中津市留守居町586
0979-25-0063
http://fukuzawakyukyo.com/
*******************************************************
諭吉が1歳半の時、諭吉の父が急死したため、母子6人で中津に帰ったときに暮らしていた家。
諭吉が19歳ごろまで移り住んだこの平屋の旧居は、現在、見学できるようになっていて、広さは約100平方メートルほどあります。
誰もが知っている福沢諭吉。
幼少期の逸話や家族の話なども知ることができて、興味深いです。
「近所に貧しい女性がいた。諭吉の母親、お順(じゅん)は女性を見かけると忙しくとも施しをした。女性を庭に呼び寄せ、むしろの上に座らせると、頭のしらみを取ってあげた。
諭吉は、石でしらみをつぶす手伝いをした。終わると女性に「しらみを取らせていただき、ありがとう」と声をかけ、ご飯を食べさせていた。」
その石も、庭先に残っています。
諭吉は内職をして家計を助けながら、猛勉強し、やがて上下関係の厳しい封建的な身分制度に反発するようになります。
それが後のベストセラー『学問のすすめ』に通じているそうです。
貧しいながらも信念を持ち、過ごした少年時代。
福沢家の旧居は昭和46年、国の史跡に指定されました。
*******************************************************
福沢諭吉旧居
〒871-0088 大分県中津市留守居町586
0979-25-0063
http://fukuzawakyukyo.com/
*******************************************************
askulryoko at 17:04│Comments(0)│
│西日本支店 九州(福岡県)